こだわりの館blog版 -98ページ目

「三代目桂春團治一門チャリティー落語会」

10/18虎ノ門イイノホールにて
上方落語会の重鎮、三代目桂春団治が年1回東京で開催している
「三代目桂春団治一門会」に行ってきました。

今回で東京での一門会も9回目ということで、
年々入場者も増え続け、今年は満員御礼とまではいかなかったですが、
パッと見た目、席が満遍なく埋まっている状態。
いやあ毎年行ってますが、第1回目のヤクルトホールの、
あの半分しか埋まってなかった客席から考えると春団治師の人気も
東京で徐々に拡大しつつある、と感慨にひたっております。

申し遅れましたが、私の好きな落語家の二巨頭は
江戸:古今亭志ん朝、上方:桂春團治
なのですが、志ん朝師が亡くなってしまい
心にぽっかりと穴があいてしまった現在
春團治師を見ることが見ることが
唯一の楽しみといっても過言ではありません。

さて当日の演目でございますが、
 桂 春菜「ちりとてちん」
 桂 福楽「ん廻し(田楽喰い)」
 桂 福団治「くっしゃみ講釈」
   仲入り
 桂 春若「兵庫渡海 鱶の魅入れ」
 桂 春団治「お玉牛」

今回は本当に充実。皆さん熱演。
福団治師の「くっしゃみ講釈」は以前TVで大笑いしてみた演目で、
これをライブで見られるなんて、本当もう幸せ。
春若師の演目は東京ではまず聞けない珍品。
そのかわり、あまりおもしろくないというデメリット。
昔これもTVで笑福亭松之介師が演じていたのをかすかに覚えており、
昔のVTRを引っ張り出して演目確認をした次第。
(演目確認する自体がもうマニアックですよ。私は!)

そして最後が春団治師の十八番「お玉牛」。
牛をお玉と間違えて触る一連の行動のおかしいこと、
また仕草のきれいなこと!
久々に見て、聞いて〈夜這い〉を扱った艶笑噺にもかかわらず、
これだけ上品に聞かせてしまう春団治師の話芸の素晴らしさに本当、
ため息をついてしまいました。

いやあ久々の落語鑑賞、楽しめました。
時々こういう充実した会を体験できるから
落語鑑賞はやめられません。

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「ロジャー&ミー」




タイトル: ロジャー&ミー

M・ムーアの日本初登場となった作品。
彼の故郷がゼネラル・モータースに依存した町であったが、
ゼネラル・モータース本社は一方的に工場の閉鎖を決定。
町全体が「失業者」となってしまうことを危惧した
ムーアはゼネラル・モータースの本社に突撃取材。
社長あてに直談判のアポなし取材を行おうとする。

約10年前に劇場で見たときは他人事のように
ゲラゲラ笑ってみていたが、
10年ぶりに再見したところ、
この10年で日本も変わったモンです。
見ていてわが身のように、身につまされるとともに、
まるで東京の東●山市を彷彿とさせる展開でありました。
日本では「ゴ●ン&ミー」のような作品は
撮れないだろうなあ。

「華氏911」




タイトル: 華氏 911 コレクターズ・エディション

10/16銀座テアトルシネマにて
「ヴィレッジ」の前日に見ておきながらblogでの報告は後になってしまいました。
どうもこの作品に対する感想が、日々私の頭の中で変わってしまい、
なかなか落ち着きません。

映画としてはもう、一級品のおもしろさです。
M・ムーアが自分の考えを全て出し切ったかのような映像は迫力満点。
畳み掛ける編集に、まくし立てるナレーション。
映像はブラックに満ちて、深刻になりかけるとユーモアで笑い飛ばす。
上映時間2時間、まばたきすることすら忘れ
見終わった後はムーア流アプローチにすっかり感染され疲労困憊。
映像そして映画の醍醐味に満ちた作品であります。

しかし、しかしです。
これが〈ドキュメンタリー〉というジャンルであることに気がつくと
映画としては楽しかったものの、
そこで展開されるムーアの「主義主張」に諸手を上げて
賛同することに私は疑問を感じるのです。

まず、M・ムーアがブッシュを茶化すとき(観客を笑わせるとき)
過去の映画、つまりフィクションの映像を入れるのが
どうも気になります。
間に入るフィクションが、それまで展開している
ノンフィクションの「証拠付け」のような役割を
果たしてしまっているように感じます。
これはドキュメンタリーとしては反則技ではないでしょうか?

それにM・ムーアがこれだけラジカルにブッシュを批判しておきながら
現在進行中の大統領選挙でブッシュが米国内で互角な戦いをしているのも
どうも気になります。
(しかも他国ではブッシュの支持率はドン底なのに!)
映画と現実はまた別という意見もあるでしょうが、
これだけラジカルなM・ムーアなのですから
「それでもブッシュを指示する米国の謎、暗部」にも
この際、思い切ってメスを入れるぐらいの勢いがあっても
良かったのではないでしょうか。
「ボーリング・フォー・コロンバイン」で米国の銃社会を
独立戦争時からの米国民気質の歴史までもを振り返って、
徹底的に糾弾した作家なのですから!

最後に余談。
この作品、8月中旬に日本で公開され大ヒットを記録。
100館以上の超拡大公開をされながらも
2ヶ月たって、やっと空いてきたかなと思ったら
今度は上映館数がひどく減っている。
大統領選挙まであと2週間あまり。
何かあったのか…この点もどうも気になります。

「ヴィレッジ」




タイトル: ヴィレッジ

10/17新宿オデヲン座にて
私の周辺でこの作品の評判はえらく悪い。
曰く「また同じハッタリをカマしてる」
曰く「シャマラン本人の登場はいかがなものか」
見る前から「今イチ」の評判ばかり聞かされると
見る気もだんだん失せるもの。
そうこうしている内に今週いっぱいでファーストランも終了につき
「ええい!こうなりゃ自分の目で確認するしかない」と
鑑賞に至った次第。

確かにシャマランの作品は私、引き気味でした。
前作「サイン」がなんたって〈あんな出来〉でしたから!
しかも「サイン」に失望を埋めるため
録画しておいた「アンブレイカブル」を見て
さらにダメ押しの失望の二乗。
もうこの監督は「シックスセンス」の一発花火か?
とさえ思ったもの。

ところが「ヴィレッジ」私は楽しめました。
ネタバレになるんで、あまり詳しくは書けないものの、
あの結末は〈許せるハッタリ〉じゃないのでしょうか。
たとえて言えば
「サイン」のハッタリは昔のTV「UFO特集」で感じた
(それはないだろう!という)
許せないハッタリ。
今回「ヴィレッジ」のハッタリは
「火曜サスペンス」の午後10時30分に感じる、許せるハッタリ
(ほう、そういう手があったかという)。

なんだかよくわかんないような例えですが…

「スパイキッズ3-Dゲームオーバー」




タイトル: スパイキッズ 3-D : ゲームオーバー 飛び出す ! DTSスペシャルエディション ( 初回限定 3D & 2D 2枚組 )

興行のプロでも公開時、客の入りを読みきれず予想外の
大ヒットに化ける作品が年に1本ぐらいはあるもんです。
「スパイキッズ3-Dゲームオーバー」はまさにその1本。

うちの近所のシネコンでは公開時、
近所のガキどもが大挙して押しかけ満員御礼。
最も大きなシアターに急遽移しても客足が衰えず、
3-Dメガネが品切れ寸前まで行き、
一時はパニック状態になったことを漏れ伝え聞いております。

さて昨年、この作品がなぜ大ヒットしたかを探るべく鑑賞して見ると…
答えは簡単、TVゲームの世界を何ら脚色することなく
そのまま映画化した事に子供たちが大喜びしたのが成功の原因のようです。
画面は映画的な映像ではなく3-Dのゲーム特有の画面そのままに
頭だけを俳優に置き換えて展開。
これは「バイオハザード」のように<ゲームを映画化>しているのではなく
<映画のスクリーンでゲームを>している感覚であります。
頭を空っぽにして見てみれば、まあ楽しめるものの
これを果たして「映画」と呼んで良いものか?
これをああだこうだいうのは「映画」に固執する頭の古い考えなのか。

しかし子役が主演で、共演にA・バンデラスにH・サエック、
J・クルーニーも出演し、昨日書いたように悪役がS・スタローンと、
これだけのキャストを揃えながら、
「映画を見た」という満足度が全く無いのは、寂しいと言うか、
これも時代の流れと諦めねばならぬのか…